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「熊野本宮語り部の会」ユニフォームの書を揮毫

奉納 2024年07月31日

熊野本宮語り部の会では、熊野を訪れる方々に、文化や史跡はもちろんのこと、熊野古道沿いにある王子社やお地蔵様、各地の伝承などを紹介しながら古道を案内しています。

語り部の方々は背中に大きく「森羅万象」と入ったユニフォームを着用しているのですが、その書を柏木白光が揮毫させていただきました。熊野本宮語り部の会の松本純一会長からメッセージをいただきました。

「熊野三山を目指すように伸びる幾筋もの参詣道が 2004年7月 「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録されました。

自然と歴史が織りなす神聖な巡礼路 「熊野古道」は、古より信仰の対象とされ、 平安・鎌倉時代には後白河法皇や後鳥羽上皇など多くの上皇や女院、貴族が熊野三山を目指し、その後武士から庶民へと熊野詣は盛んになりました。 その様子は「蟻の熊野の詣で」と例えられるほどでした。

私達、 熊野本宮語り部の会では、歴史ある神社仏閣が今なお点在する参詣道 「熊野古道」にお越しの方々をご案内する語り部として活動を行っています。 

語り部の会では、世界遺産登録20周年を記念して、新たなユニフォームを作成、背には神仏習合の聖地である熊野を象徴する「森羅万象」の文字を大きくプリントしました。

揮毫は、長年にわたり熊野三山を中心とした熊野の地で制作活動中の書家柏木白光さんに依頼、私達の活動に似合いの素晴らしい書体でしたためていただきました。

熊野古道にお越しの観光客の皆さんからも好評の森羅万象のユニフォームを着用した語り部が、今日も熊野古道で活動しています。 

熊野本宮語り部の会 梅崎奈美江さんからもコメントをいただきました。

白光先生が揮毫してくれた 「森羅万象」 を背負って熊野古道を案内しています。

森羅万象ポロシャツを着て皆地笠を被っているとたくさん声を掛けられます。道はもちろん、熊野の神様のこと、花の名前、時には悩みを打ち明けられたり。 きっと「ただものではない」感じがするのでしょう。 

昔から男女を問わず身分を問わずすべての人を受け入れてきた本宮の神様。森羅万象すべてを包みこむ熊野感謝。 祈りを大切に思うこの地に暮らして伝統受け継ぎ熊野古道を支えいけたらと思います

[熊野本宮語り部の会]の詳細については

熊野本宮観光協会「語り部と歩く熊野古道」のページ

にてご確認いただけます。

白光詩季折々 7月 「中津祇園」

白光詩季折々 2024年07月04日

7月に入ると、中津の街には、「チキチンチキチン、チキチンコンコン」とお囃子の音色が響きます。

7月末に開かれる「中津祇園祭」。大人も、子どもも、心躍らせて、祭の準備に余念がありません。

幼い頃、「江戸時代、京都へ祇園車をつくりに中津の船大工が京都に行き、郷里に帰ると中津のお殿様が『我が中津にも祇園車が欲しい』と言って中津祇園車が生まれた。神様は京都の八坂神社からやって来た」と教えてもらった記憶があります。

日舞を習い、祇園車で踊っていた母。祭の夜は、遅くまで一緒に祇園車に付いていきました。母との大切な思い出です。祇園車で踊る母はとても綺麗でした。

中津祇園、豊後町御神殿奉斎車、稚児舞(影向楽)。

中津祇園祭で謡われる「影向楽(ようごうがく)」。

開けし国は久方の御世

天津神世の まつりごと

宮居涼しき くらなしの浜

出船入船あれを見よ

須磨の浦の荒木の さくら

散らで残れる磯馴れ松

千早振る 千早振る

神と君との道すぐに

打治まれる御代なれや

民も豊かに澄む水の

流れの末の末ずえも

歌い戯れ千代に八千代に

祇園車に掲げられている「影向楽」の額縁。

子どもの頃の祭りのワクワク。大人になって故郷とつなぐ大切な思い出になりますように。