今秋、柏木白光は伊勢神宮の内宮入口の右横に建つ伊勢修養団道場の看板を揮毫させていただきました。
公益財団法人 修養団は内閣府所管の社会教育施設です。修養団の創立者であり、主幹を務められた蓮沼門三先生は明治15(1882)年に生誕。天皇の御教育に携わり社会教育活動の基礎を築きました。創立116年間にわたり人間教育道場として活動を続け、日本を代表する経済人である渋沢栄一や松下幸之助が顧問を務められました。
揮毫を終えて、公益財団法人修養団 常務理事 伊勢青少年研修センター所長 武田数宏様よりお言葉をいただきました。
「公益財団法人修養団の看板が、柏木白光先生の書で、よみがえりました。神宮の杜の中に、清らかな“光と風”を感じる場が生まれました」
2022年4月5日(火)から5月8日(日)にかけて、沖縄県立博物館・美術館において「悠久のシルクロード展~古代エジプトからアジア、そして日本へと繋がる歴史と文化の道~」が開催されます。
柏木白光は展覧会の題字を揮毫させていただきました。展覧会の成功を祈願し、航海の安全祈る場である天妃宮(沖縄県那覇市)にて、題字を揮毫いたしました。
「悠久のシルクロード展~古代エジプトからアジア、そして日本へと繋がる歴史と文化の道~」
会期:2022年4月5日(火)~5月8日(日)
会場:沖縄県立博物館・美術
開館時間:9:00~18:00(金・土は20:00まで) ※入場は閉館の30分前まで
休館日:毎週月曜日
主催:一般財団法人 沖縄美ら島財団、琉球新報社、株式会社 宣伝
ホームページ:https://okimu.jp/exhibition/silkroad/
[公式ホームページより]
本展では、シルクロードの地を愛してやまなかった故平山画伯の作品と、選りすぐりの至宝を116点ご紹 介いたします。また、特別展示として、鎌倉初期から室町時代に制作された初公開の日本の仏像や、京都の 大佛師(四天王寺大仏師・成田新勝寺大佛師)松久宗琳が制作した貴重な仏像を展示、さらに奈良の唐招 提寺におさめられている平成時代の仏像彫刻家による薬師如来立像を合わせてご紹介いたします。
国内有数の商社として鉄鋼や食品、石油など幅広い分野を手がける阪和興業。その鉄鋼加工会社、阪和スチールサービスの工場が滋賀県甲賀市にあります。
同工場は無事故を2,000日継続しており、さらなる安全祈願を込めて、2020年12月4日、柏木白光による講話と揮毫が行われました。
会場は同社の本社工場。鉄鋼の加工品が積まれる工場内で、全職員が参加して講話を実施しました。会場には、代表作である「アート和」なども展示。工場らしくフォークリフトを活用した展示はかつてない光景でした。
講話終了後、木目が美しい銘木板に「安全祈願 よろこびあふれる滋賀」を揮毫しました。揮毫した看板は今後、工場内に設置される予定です。
なお、この様子は、「鉄鋼新聞」「産業新聞」といった専門新聞でも取り上げられました。
【阪和スチールサービス 佐久間勝社長からのメッセージ】
「阪和スチールサービス株式会社(阪和興業グループ:滋賀県甲賀市)は『コイルセンター』と呼ばれる鉄鋼の流通加工業で、同業種は日本に100社程ですが、その製品は自動車や家電製品、住宅部材等に幅広く使われています。
2020年12月2日、私共は連続無災害2000日(休業災害無し2000日)を達成することが出来ました。この日を節目と刻みたいと思案する中、白光先生とご縁を頂戴することが出来ましたことは、心からの感謝に堪えません。
機械やフォークリフトが並ぶ工場の中という、書芸術のイメージとは異次元な空間において、「和の心」の講演の後、安全祈願とコロナ退散を願い頂きながら、阪和スチールサービスの安全スローガンである『喜びあふれる滋賀』と揮毫頂きました。このご厚情にお応えするため、社員一同、“更なる安全な職場を目指していきたい”と決意を新たに致しました。」
【編集部のちょっと一言】
この工場の隣にはなんと、「柏木神社」があったのです。忍びの里において「甲賀衆結束の鎮守の社」と位置付けられていた由緒ある神社。不思議なご縁に、自然と熱の込もった講話と揮毫となりました。
柏木白光はこのほど、作品『琉球八社』を完成、その世界観を映像化した動画を公開しました。沖縄で八つの神社を訪れて書巡礼をする様子などをふんだんに盛り込みながら、作品に込められた思いと世界観を映像化しています。
【生きたまま浄土往生を目指す「補陀落渡海」】
那智熊野では、古来から「補陀落渡海」という修行がありました。
熊野那智の浜から、たった一人で小舟に乗り南海の彼方にある観音浄土のインド、補陀落山を目指し、大海を渡るのです。
渡海僧は、わずかな食料と水、灯明とともに小舟の屋形に入ります。その扉は渡海僧が外に出られないよう、外から釘で打ち付けられました。小舟は波間を漂い、風に流され、そして多くが沈んでいったのです。
屋形の四方には鳥居が設けられています。「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の四門を表わし、修験道の葬送作法では、この四門をくぐって浄土往生するとされていました。補陀落渡海の小舟はまさに葬送の場だったのです。
平安から江戸にかけて、数多くの観音信者が補陀落を目指し、渡海しました。
【渡海僧が熊野権現を伝えた「琉球八社」】
那智熊野の浜から、およそ1,100キロも離れた沖縄。奇跡的に流れ着いた渡海僧がいました。僧は熊野権現の宗教を沖縄に広めます。その教えは、八つの神社「琉球八社」(波之上宮、沖宮、識名宮、普天間宮、末吉宮、安里八幡宮、天久宮、金武宮)で受け継がれています。
【琉球八社を書巡礼】
柏木白光は2009年より熊野へとつづく道をめぐり、その聖地にて書巡礼し、作品を制作してきました。その作品群のひとつとして、熊野からの補陀落渡海がもたらした「琉球八社」の作品を構想。円形の紙の中央に「熊野権現」の梵字を書くとともに、八つの神社を実際に訪れ、それぞれの場で八葉の蓮花に神社の名を書いていきました。そして、外輪には密教の真言である「光明真言」の梵字を書いたのです。
柏木白光は世界遺産である熊野古道をテーマとした書巡礼を約10年にわたり続けています。このほど、「円座石」で書した作品を由来のある寺社に奉納しました。
熊野古道の中辺路に難所として名高い大雲取越があります。ここには「円座石(わろうだいし)」という巨岩が鎮座しているのですが、そこには三つの大きな梵字が刻まれています。
この三文字は、熊野三山の神々を示しているものと言われます。その神々とは、熊野本宮大社の「阿弥陀如来」、熊野速玉大社の「薬師如来」、そして熊野那智大社の「千手観音菩薩」です。
「円座(わろうだ)」とは、円形の座布団のことです。巨岩に刻まれた三つの梵字の文様の座布団の上に、熊野三神が座って語り合い、談笑したと伝えらえています。
柏木白光は、熊野の円座石の地で神々の笑い声を聴きながら、作品「円座石」を書き上げました。
柏木白光はこれまで、熊野古道をテーマとしたシリーズで、三大社で作品を制作させていただきました。そして、このほど、この三つの大社、そしてその縁を結んでいただいた青岸渡寺に、この作品「円座石」を奉納いたしました。
【スライドショー】
【写真ギャラリー】(熊野本宮大社〜熊野速玉大社〜熊野那智大社〜青岸渡寺の順です。)
柏木白光は世界遺産である熊野古道をテーマとした書巡礼を約10年にわたり続けています。
熊野古道の中辺路に難所として名高い大雲取越があります。ここには「円座石(わろうだいし)」という巨岩が鎮座しているのですが、そこには三つの大きな梵字が刻まれています。
この三文字は、熊野三山の神々を示しているものと言われます。その神々とは、熊野本宮大社の「阿弥陀如来」、熊野速玉大社の「薬師如来」、そして熊野那智大社の「千手観音菩薩」です。
「円座(わろうだ)」とは、円形の座布団のことです。巨岩に刻まれた三つの梵字の文様の座布団の上に、熊野三神が座って語り合い、談笑したと伝えらえています。
柏木白光は、熊野の円座石の地で神々の笑い声を聴きながら、作品「円座石」を書き上げました。
柏木白光は「天と地」シリーズ第2弾の一環として、3月22日に奈良県の橿原神宮で作品を制作しました。大木の根本から切り出した衝立に、北原白秋の『海道東征』より『海道東征』の詩、そして「光」の文字を書きました。このほど、この制作風景の映像が完成しました。
柏木白光は「天と地」シリーズ第2弾の一環として、3月22日に奈良県の橿原神宮で作品を制作しました。大木の根本から切り出した衝立に、北原白秋の『海道東征』より『海道東征』の詩、そして「光」の文字を書きました。(写真撮影:中野晴生氏)
『海道東征』より『海道東征』(詞:北原白秋)
神坐しき
蒼雲の上に高く
高千穂や二上山
遥かなりその肇國
窮みなし天つみ業
いざ仰げ大御言を
畏きや 清の御鏡
国ありき
錦津見の潮と稚く
光宅らし 四方の中央
遥かなりその国生
かぎりなし天つ日嗣
いざ継がせ 言依さすもの
勾玉とにほい綴らせ
道ありき
古もかくぞ響きて
つらぬくや この天地
遥かなり その神性
おぎろなし み剣よ太刀
いざ討たせまつろはぬもの
ひたに討ち しかも和せや
雲蒼し 神さぶと弥とこしへ
照り美くし我が山河
遥かなり その国柄
動ぎなし 底の磐根
いざ起たせ 天皇
神倭磐余彦命
神と坐す 大稜威高領らせば
八紘一つ宇とぞ
遥かなりその肇國
涯も無し天つみ業
いざ領らせ 大和ここに
雄たけびぞ 弥栄を我等
橿原神宮について
「日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。
天照大神の血を引く神倭伊波禮毘古命(後の神武天皇)が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山の東南の麓に橿原宮を創建されました。
第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2,600余年前のことです。
日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は、日本の原点ともいえるでしょう。」
(橿原神宮ホームページより http://www.kashiharajingu.or.jp/about/ )
柏木白光は後鳥羽上皇ゆかりの地を訪ね作品を制作する「後鳥羽上皇の旅」の活動を開始しました。第一弾となる切目王子神社(和歌山県印南町西ノ地)での作品制作が行われ、その様子が紀州新聞にて紹介されました。
柏木さん(女流書家)が作品制作
後鳥羽上皇ゆかりの切目王子神社で
(紀州新聞 平成28年(2016年)11月18日(金曜日) 文:編集部 武田裕人氏)
熊野古道をテーマにした作品制作など独自の世界観を表現した作風で知られる女流書家、柏木白光さん=東京都在住=が16日、印南町西ノ地、切目王子神社を訪れ、境内で地元住民らが見守る中で2つの作品を書き上げた。
柏木さんは、毎日女流展でグランプリを受賞するなど多くの書展に入賞している女流書家の第一人者。詩と絵を融合させた独自の世界観を表現した作風で知られ、伊勢神宮や明治神宮、靖国神社に作品を奉納しているほか、イラク自衛隊の看板「サマーワ宿営地」を書き話題となった。平成21年からは熊野古道をテーマに紀伊半島の聖地を訪れる「熊野へ書巡礼」をスタート、今年9月には7年間にわたる書巡礼を重ねてきた作品群「天と地」の集大成となる展覧会を東京・護国寺で開催。
今回、第2弾として「後鳥羽上皇の旅」をテーマに後鳥羽上皇に関わりのある聖地を訪れての作品制作を15日からスタートし、田辺市の発心門王子、稲葉根王子、八上王子、16日は闘鶏神社に立ち寄ったあと切目王子神社を訪れた。同神社は後鳥羽上皇が1200年(正治2年)に歌会を開き、後鳥羽上皇が詠んだ「あきのいろは たにのこずゑに ととめおきて こずゑむなしき おちのやまもと」など歌会でしたためられた11点の懐紙が今も残り「切目懐紙」として国宝に指定され、京都市の西本願寺に所蔵されているなど聖地の一つで、柏木さんは、坂下繁一総代長ら氏子など30人が見守る中、「切目王子」と題し詠んだ歌と、熊野古道にちなみ「道」という字の2つの作品を力強く書き上げた。
柏木さんは「『道』は境内に樹生するホルトノキをイメージして書いた。良い作品を書かせてもらった」と満足そうな表情だった。今後、奈良の薬師寺や春日大社、京都の東寺や伏見稲荷大社などでも作品作りを行い、3年かけて「後鳥羽上皇の旅」を完成させる予定で、完成すれば展覧会を開催することにしており、切目王子神社など地元の歴史を学ぶ「うらしま会」代表の寺下鎮雄さん(71)は「大変有名な方に来ていただきうれしく思う。作品を展覧会で展示してもらえれば多くの人に切目王子神社を知ってもらえるのではないか」と喜んでいる。
切目王子神社は本殿の檜皮ぶき屋根のふき替え工事近く始まることになっており、柏木さんは同神社の御神木である「ナギ」の木を使って看板を製作し、ふき替えが完了する来年7月までに寄贈することを約束した。
柏木さんが詠んだ「切目王子」の歌は次の通り。
「朝まだき 産着のやうな 靄(もや)かかる 切目王子は まだ深眠り」
今年4月、大和路に春の訪れを告げる「ちゃんちゃん祭り」が行われる中、
柏木白光の作品「大和」が、大和神社(おおやまとじんじゃ)に奉納されました。
大和神社は、奈良県天理市にあり、2000年もの歴史を持つ大変古い神社です。
ちゃんちゃん祭りは、大和の国の地主神である大国魂大神の例祭と、
装束に身を包んだ200名ほどのお神輿行列で有名なお祭りです。
当日は、小雨の降る中、塩谷宮司様をはじめ、神職や氏子の方々100名ほどが登殿。
各種の祝詞、お神楽奉納などの神事を終えられた後、作品「大和」を神前に供え、
柏木白光の活動をご説明いただくとともに、
この作品が実際にこの拝殿にて揮毫されたことなどをご紹介いただきました。
引き続き、柏木白光への感謝状などの贈呈式が行われました。
大和神社
http://ooyamatohp.net
大和神社と戦艦大和
「戦艦大和」の艦内には大和神社の御祭神大國魂大神が分祀されていました。その理由は定かではありませんが、この神は古代航海神の神格を有していたこと、名前が同じであること、そして国土の守護神の神格を「戦艦大和」に重ねたのではないでしょうか。