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大阪・関西万博 関西パビリオン・和歌山ゾーン出展作品「天と地」熊野古道シリーズ 作品解説 

イベント情報,作品展示 2025年07月02日

大阪関西万博、関西パビリオン・和歌山ゾーンにおいて特別展示される柏木白光の「天と地」。2025年7月6日(日)〜12日(土)に登場する熊野三山をテーマにした代表作を解説します。

蘇りの聖地

夜になると満天の星を集めて瀧となるが如く見える那智の滝。

古来、熊野を訪れた人々は、大自然のエネルギーに生命の永遠の循環、蘇りを感じさせられ、新たな力を得たのであろう。

2009年、熊野古道シリーズの作品は、ここから13年間の旅をスタートした。

火の粉は舞い 燃えさかる大松明
十二神は扇神輿に乗り滝壺へ
時は満ちた 殯の鳥居を四方に拝てよ
轟音瀑水を浴び 絶壁を落下する飛瀧権現
観音浄土ここにあり
蘇りの聖地熊野那智

制作地 熊野那智大社
(作品サイズ 縦182㎝×横91㎝、詩も柏木白光作)

熊野の観音菩薩

熊野を詣でた上皇たちは皆、自力で歩いて参詣した。

長い険しい道のりをひたすらに歩き続け、やっとの思いで参拝し、願いを込めて懸命に祈り、ふと帰り道の方向へ目を向ける。

そのときに初めて、熊野から見渡す青々と広がる世界が目に入る。戻ろうとする現世の未来を菩薩が導いてくれる。

祈りが天に通じた瞬間だ。

振り向けば 蒼天が ある

一枚しかない藍染布を選んだ。

 制作場所 那智山青岸渡寺
(作品サイズ 縦122㎝×横168㎝、詩も柏木白光作)

神船

熊野で修業した者は、海の向こうの補陀落という観音浄土へ向かった。補陀落渡海という。

那智勝浦周辺がその最大の拠点で、補陀落山寺の住職は60歳になると「渡海」していた。

生きたまま小舟で船出する補陀落渡海は平安時代から江戸時代にかけて約50例が確認されている。

板を張り合わせたような独特な小舟を作り、四方に鳥居をかけ、舟全体に荘厳な浄土の絵を描き、帆には経文を書いた。そして、出入口には釘を打ちつけ、二度と開かないようにして出航した。

熊野での祈りをもって観音浄土に向かう修行者には生と死の境はなく、希望だけがあったのだろう。

「神船」は、人々の願望や祈りを補陀落に届ける作品なのだ。

風が わたる
光が はしる
五体投地をくりかえす波
神徳の杯をかかげれば
凪ぎひれふす

制作場所 熊野速玉大社
(作品サイズ 縦179㎝×横87㎝、詩も柏木白光作)

翔夢

1996年文字による精神性の表現を追求し、ロスアンジェルスで世界の宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、神道、仏教全宗派)を集めて、世界の文字で平和への祈りを表現するイベントを開催し、ロスアンジェルス市議会にてロスアンジェルス市長から感謝状を頂いた。

その際のイベント名が、柏木白光オリジナルの造語「翔夢」。

夢を持つだけではなく、天高く夢を翔ばし続け、夢の実現を追い求める柏木白光の生き方そのものを表現している。

熊野本宮大社を訪れる人々は、夢の実現を願う人々が多いという。

熊野本宮大社を訪れるすべての人々の夢が叶うように。その人々の夢がヤタガラスに導かれて実現しますように。

そんな願いが込められた作品だ。

制作場所 熊野本宮大社
(作品サイズ 縦112㎝×横168㎝)

高野山シリーズ作品解説へ

作品解説 吉田明生:一般社団法人災害防止研究所代表理事。長年にわたり柏木白光の創作活動をサポート。2024年10月開催の「書家 柏木白光作品展『天と地』 熊野古道をめぐる書巡礼」(世界遺産 熊野本宮館)では、同研究所が世界遺産登録20周年となる同展覧会を共催を務めた。

大阪・関西万博 関西パビリオン・和歌山ゾーン出展作品「天と地」高野山シリーズ 作品解説 

イベント情報,作品展示 2025年07月02日

大阪関西万博、関西パビリオン・和歌山ゾーンにおいて特別展示される柏木白光の「天と地」。2025年7月13日(日)〜19日(土)に登場する高野山をテーマにした代表作を解説します。

書者散也

柏木白光が憧れ、永遠の師と仰ぐ、書の神様と言われる弘法大師空海の言葉「書者散也」を書いている。

中国の書家・蔡邕(さいよう)『筆論』を引用し、「書の極意は自分のなかにある感情を自然の万物にかたどり、心のおもむくままにして書きあらわすべし」と説いた。

柏木白光は、文献で根拠や故事を調べ、自分の足で巡り、所縁のある人々に由縁を聞きとり、デッサンし、構想を練る。作品に相応しい紙が見つかるまで探す。

すべてに納得がいったとき、現地の大地と空気を感じて、一気呵成に想いを紙の上に載せ、昇華させる。ゆえに制作は、構想を練り、完成するまで数か月から数年に及ぶ時間がかかる。

己の中に、作品への思いが充満した時、現地に赴いて、そのエネルギーを一気に吐き出す。

正に柏木白光の「書者散也」を書きあげた作品だ。

使命感をもって事に向かおうとする、すべての者に通じる想いを表現している。

制作場所 高野山 大伽藍金堂
(作品サイズ 縦115㎝×横115㎝)

丹生都姫

空海の高野山開闢の故事に由来する。

高野山を高野山に導いた地主神・狩場明神の母である丹生都姫。御祭神・丹生都姫は、元寇をその後神威により退けたことから、勝利と成功を導く女神としても崇敬を集めている。

洪水の まへのやうなる しづけさに 
甲冑つけたる 比賣神 おはす
(小黒世茂の歌)

制作場所 丹生都姫神社
作品サイズ 縦63㎝×横40㎝

子を思う歌

空海の母は、息子の開いた高野山を一目みようとやってきたが、すでに高野山の七里四方が女人禁制になっていたため、麓にある政所に滞在した。

空海は、20数キロの道を降って九度、母に会いに来たという。

故事を調べ、自分の足で歩いて、最も相応しい場に辿り着く。墨と書だけでは表現できぬものがある。伝えたいものがある。

銀も金も玉も なにせむに 
まされる寶 子にしかめやも
(山上憶良の歌)

和歌を選ぶことで母と子の間を想像させる余韻を漂わせ、読む人の想像力を掻き立てる。

墨を選び、紙を探し、色彩を使い、強く闘う母の姿と子を思う優しい慈母の姿を描く。

仏画は、松久宗琳佛所代表の松久佳遊氏に師事し、当時の表現として最も適切な図柄を確認して描いている。

制作場所 慈尊院
(作品サイズ 縦63㎝×横40㎝)

北斗七星

文武天皇の大宝元年(701年)、役小角によって開かれた観心寺は、平安時代の初め、大同三年(808年)に弘法大師空海が境内に北斗七星を勧請したとされる。

これにちなむ7つの「星塚」が現在も境内にあり、立体の七星如意輪曼荼羅を構成している。

国家安泰と衆生の厄除の祈願寺、そして高野山を開くための拠点として整備された。

観心寺は楠木氏の菩提寺、楠木正成ゆかりの寺としても知られる。空海の国家安泰と衆生の厄除への祈りにかける覚悟の姿と、石段を下りて戦いの世界に向かおうとする楠木正成の姿を重ねたものか。

制作場所 高野山真言宗檜尾山観心寺
(作品サイズ 縦63㎝×横40㎝)

阿字観

大日如来の象徴である阿字を用いた瞑想法で、弘法大師空海から伝えられた。

「百光遍照観」は、「大日経」「説百字生品」を典拠として展開されたと言われ、中尊に大日如来の真言(梵字)を置き、合計百字を展開する。

阿字観は阿字観ヨガとも言い、大日如来を表す梵字が月輪の中、蓮華の上に描かれた軸を見つめて、姿勢と呼吸を整え瞑想する真言寺院に伝えられていたトレーニングの瞑想法だ。

阿字観の様式と作法を学んで制作した。

梵字はネパールで約1年間をかけて学んだ。紙はその間、ネパールの曼陀羅工房で手に入れ、自らの手で彩色したもの。

制作場所 根来寺
(作品サイズ 縦79㎝×横90㎝)

即 と 幸 

高野シリーズ制作の最後に、空海の出発点である室戸岬を訪れ、空海の思想に思いを致した作品だ。空海は死んで仏になりたいと言ったのではない。

「即」は即身成仏。この世にあって自己の完成、悟りを開くことを目指し、あの世に行ってもさらに真理を極めたいという修行者としての願望を持ち、大日如来の智慧、金剛界曼陀羅を求めた。高野シリーズ制作の最後に、空海の出発点である室戸岬を訪れ、空海の思想に思いを致した作品だ。空海は死んで仏になりたいと言ったのではない。

大日如来の智慧によって多くの民の「幸」を実現させることは、国家安泰を祈る究極の目標ではなかったか。

人は幸せを願って発心、努力し、成功を実感して成長する。しかし、達成したかに見える成功は一瞬の出来事で、常に努力し続けなければならない運命にある。

果てしなく「幸」を追い求めけることに喜びを感じさせるのが大日如来の慈悲であり、胎蔵曼荼羅だ。

自己の完成に務めると同時に、他者の幸せを祈る。自身の「即」を求め、民の「幸」を願うことは、人間空海の生き様、究極の祈りであったろう。

右側には、弘法大師空海の立体曼荼羅を描いている。

制作場所 室戸山明星院最御崎寺
(作品サイズ 縦124㎝×横93㎝:屏風)

熊野古道シリーズ作品解説へ

作品解説 吉田明生:一般社団法人災害防止研究所代表理事。長年にわたり柏木白光の創作活動をサポート。2024年10月開催の「書家 柏木白光作品展『天と地』 熊野古道をめぐる書巡礼」(世界遺産 熊野本宮館)では、同研究所が世界遺産登録20周年となる同展覧会を共催を務めた。