いのちと言葉の始源へ ―柏木白光氏の書の世界―

金山秋男(明治大学教授・国際熊野学会副代表)

柏木白光氏は神霊との感応道交によって、手筆が自在に動く類稀なる書家である。氏の書に、書の世界の常識を超えた鬼気迫る霊力を感じるのは、私だけではないであろう。

数年前、白光氏の郷里近くの宇佐八幡の神体山である御許山(おもとさん)を訪れた時のことである。生来鈍感な私にも、山上で氏が書き始めるや、山のなにかが蠢(うごめ)き始めるのを、かすかに、だが確かに感じられた。世に言霊(ことだま)や木霊(こだま)というものがあるというが、正に神霊宿る山の万物のいのちとたましいが、氏のことば(歌)に顕現した瞬間であった。

大乗仏教では「山川草木悉有仏性」(さんせんそうもくことごとくぶっしょうあり)をいうが、言うまでもなく、それらが個々別々に仏性として存在する訳ではない。それらすべてはもとより、縁によってこの世で出会い、往古の物語を互いに呼び交わしている世界、白光氏が紙面に込めた渾身の祈りとは、そういう世界の再現であったにちがいない。

かつて、空海の書をみたことがある。もとより、上手も下手もそこにはない。ただ汪溢(おういつ)する圧倒的な生命力にうたれて、しばし佇むしかなかった。言うまでもなく、山林抖擻(とそう)など昼夜を問わぬ大自然中の極度の荒行の中で、彼の小宇宙は神々の大宇宙と融合し、その本源的現象が、その書となって現われ出たというしかない。

思えば、人が今、ここに存在して、渾身込めて、一枚の紙面と対峙していること自体、世人の思議をはるかに超えた営みではないか。白光氏の手筆は、その不思議さの始源に向けて動きを止めない。むしろ、こう言おう。氏は天地(あめつち)の万象を一枚の書に定着する一刻一刻において、神仏と出会う浄福感を心ゆくまで味わってきたにちがいないと。

柏木白光氏の書は、一言で言えば、三界万霊への祈りである。

金山秋男(かねやま あきお)

1948年栃木県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科・博士課程修了。専攻は死生学、宗教民俗学。著書に『「歎異抄」を読む』、その他『「生と死」の図像学』、『巡礼-その世界』、『人はなぜ旅にでるのか』、『「生と死」の東西文化史』(共著)、『古典にみる生と死』(共著)など。
現在、明治大学死生学・基礎文化研究所代表、明治大学野性の科学研究所副所長、国際熊野学会副代表、日本臨床美術協会理事。